「解夏」
この間みた映画に感動して、そして、大沢たかおがでていたので、
そのせいもあって以前からみたいと思っていたけど、
そのままになっていた彼がでている「解夏」というDVDをレンタルしてみた。
(今更感あるかもしれませんが・・・汗)
ずいぶん前に映画館で予告をみたけど、なんかストーリーが
少しみえてちょっとココロが痛かったのでそのままになっていた。
公式サイトはとっくにクローズされていた。
クローズの日付は2005年。
でも、この物語のキーワードだけは検索してもヒットしてきた。
「解夏」
(リンク切れの際にはご容赦を)
古来、禅宗の修行僧は、座禅はもとより、師を求めて各寺院を
行脚し、托鉢し、修行を積んでいました。しかし、夏の90日間は、
「庵」に集まり、共同生活をしながら座禅をする“雨安居”と呼ばれる
修行をしました。
もともとインドの陰暦4月から7月は雨季であり、外出するのに非常に
不便であったと同時に、虫の卵や草の芽が生じる生命誕生の季節であり、
歩くことによって殺生してしまうことを避けるための習慣でした。
そのうち、この「庵」に食糧などがまとめて寄進されるようになり、
寺院の始まりとなったといわれています。
この雨安居の修行を終えた僧たちは、この間に話し合った互いの「行」
に対する捉え方、考え方、接し方の誤りを懺悔しあい再び行脚へ旅立って
行きました。
この修行の入り(始まり)の日を「結夏」(けつげ・陰暦4月16日)、
終わる日を「解夏」(陰暦7月15日)と言います。
劇中ではこの「解夏」を、闇の中をさまよう苦しみから解き放たれ、
ようやく探り当てた一筋の光を胸に自己を再生し、新しく出発する日と考え、
物語全体のテーマとして捉えています。
(サイトより引用)
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失明する日が苦しみから解き放たれる日とされている。
苦しみから解き放たれる日から失明が始まるんだけど。
・・・恐怖に打ち勝つにはそこに飛び込むだけ。
そんなこと聞いたことがある。
飛び込めたほうが恐怖は多分、少ないし、動きようもある。
意外に大きく、怖いものにみえたものは小さくて、なんだか対処できるし、
私って結構、大丈夫ぢゃん。みたいな。
直面すると人はそれを越えることを見始めるような気がする。
この場合、最終地点が失明ということだったけど。
どんどん目が見えなくなる苦しみは、失明してしまった状態より大きな恐怖を感じるんだ。
今までと同じことををできなくなる。
でも大沢たかおが演じる人は多分、ちゃんと再生していくような気がした。
でも、現状が変わることに人間ってひどく臆病なのだね。
劇中のテーマとは別にインドの結夏と解夏についてもちょっと考えた。
1年間の修行のいろいろな疑問をもって結夏を向かえ。
人とつながりをもち、何か光をみいだしたり、時には見えなかったり、
そして解夏を向かえ、新しく出発すること。
人は時々、自分の中でも結夏や解夏をおこなっているような気がした。
人は、いつも、いつも、もしかしたら一人で生きている。
何かを見たり、理解したり、そして結夏。
人と触れ合うことでその答えの疑問を思い、
答えをみつけ、時にはなにもわからなくなり、そして、解夏、新しい出発。
これをくりかえしているような気になった。
春夏秋冬があるように。人の流れの中にも四季がある。
春、何かを初め歩き出す。自分ではわからないようなテーマをもって。
夏、色々な人とであいどんどん、どんどん経験をする。
秋、収穫。それまでの流れの意味を知り。
冬、定着。それを自分の血とし、肉とし。次の場所を選ぶ。
人は自分の中に四季をみいだして、その中に結夏と解夏もくみいれて
いるような気がしたんだ。
わかりにくいことは、目に見える四季でさえも敏感に肌で感じる人もいれば、
ただ、ただ時を流すだけの人もいるということ。
そして、それでも、窓の外の彩りは同じ。
そんなことを感じたりした。
