ココロとカラダの欲求に素直にこたえる


すべての根底にあったもの
ースカートがはけない理由ー

体のどこかに原因不明の「痛み」ありますか?

でも、ほんとは原因がちゃんとあって、
自分で忘れてしまっているだけのこと。
自分で知らないだけのこと。


もしその原因がわかるとしたら知りたいですか?

ココロの痛みとリンクしていたら・・・。
うーんと昔、あなたの切ない思いがそこにあるのだったら。



それは去年の春のこと。
「みれちゃう整体師さんがいるんだよ。」ってちょっと興奮気味に電話をもらった。
はじめてあった人なのだけど誰もわかり得ない気持ちをさくっとあてられ。
彼女の「そこに」にそっとふれられてしまったようだ。
ココロの痛みとカラダの痛み。

「整体院だけど今は別の理由で来る人が多くてなかなか予約とれないんだって。」って
カラダも苦しくて、ココロも苦しくてどうしようもないピークは過ぎたと思っていたし。
ホントかなぁという気持ちもなかったわけでもなく。
それでも、自分の中にすっきりしない気持ちもあった。


予約がとれたのはそれから3ヶ月も後のことだった。



ずっと気になっていたことがある。
私のカラダの痛みは右側に集中している。
整体に行くと右側に冷房がないかとか、右側の使いすぎだとか、姿勢が悪いとか。
アロマの先生は過去世の男性性が影響してるとか。
全く納得するような答えは返ってこなかった。
以前、越智啓子さんのリーディング*を受けてからもつづいた。
(*記憶のおくを参照ください。)
そして最近は、特に右側の下腹部に痛みを感じてた。それがちょうど卵巣の辺。
生理痛もその卵巣のあたりを中心に右の腰と、仙骨の右の辺に痛みを感じる。
左は痛みはないのだ。

どこにいっても解決しないので
右側の痛みはどうしようもない痛みなのだと思っていた。
マッサージや、整体にいってもそこは特に言わなかった。
コリはあるみたいだったけど、特別いわれることもなかった。


予約の日の3日ぐらい前からなぜかわからないけど涙がでてしかたがなくなった。
壊れてしまった水道の蛇口のように。
梅雨時の空のように。
何かに集中していないと涙がでてきて制御不能になってしまうのだ。

そのころ、私は整体院に場所を確認するために電話をかけている。
みえることは全部いってくれるのか。
いっていけないことはいわない。
いってはいけないことなんてない。
みえることは全部、いってください。

そう、確認してた。

ここでの「みえること」っていうのは物質レベルではみえないもののこと。
そして当日。
ちょっとびっくりした。
私の痛みをみつけられた。
右側の「その場所」の。しかも、ピンポイントで。


そして自分のこと「汚れているとおもうか、清(きれ)いって思うか?」ってきかれた。
私はいつも、清(きれ)いだといった。正直でありたいとおもっているといった。
それは下手な正義感もはいって、いつもその場、その場でたたかっていた。
上司もそうだし、仕事上の人もそうだし、友達ともそうだったりした。
ずるいひとは許せないのだ。

「汚くてもいいんだよ」って、
「なんで汚くちゃいけないんだ。 みんなそうなんだよ」って。

なんのこと?って感じの私に。
「自分のこと汚いっておもうことの裏返しなんだよ。」っていうのだ。

小さいときに霊的に性的な虐待をうけたというのだ。
「霊という存在」に。
実際に肉体がだれからから性的に虐待をうけたというわけではないのだけど。
それは今の私だったら抵抗できるものだけれども。
(いまでも人のエネルギーを受けてしまったり、拾ってしまったりもよくあったりするのだが。)
私は、あまりにも小さくてひとたまりもなかったらしい。
ものすごく傷ついてしまったのだ。
記憶を封印してしまうくらい。


そのころの記憶がないはずだよって。
そして、封印してしまうほどの記憶は無理に思い出す必要もないと。
小さいころの記憶なんてないものだと思ってた。
生まれたばかりの記憶はあるけれど、次は4歳ごろの記憶になっていて「ズボン」をはいている。
小さいころからスカートをはかない子だった。いまでもそれは続いている。
スカートをはくときは勇気がいるのだ。
「これじゃ、はけないよ」って。



嗚咽。


つよい感情がおくからでてきた。



その傷は右側の骨盤の中にちょうど、右側の卵巣をにぎりしめているような形で存在しているのだ。
そして右側の骨盤はシャベルが土をすくうような感じになってずれている。

そして女性性と向かい合うときもやっぱりじゃまになっている。
恋愛はぐちゃぐちゃになって当たり前だよね。
そしてここは気功でいう丹田という言葉で知られる、「第2チャクラ」の場所。

第2チャクラは性的な関係、友人、仕事上の関係などあらゆる人間関係、1対1の人間関係を司る。
流せなかった自分に対しての否定的な感情はここにたまる。
感受性や性的なエネルギーの質と量を支配する。
基本的な元気とも個性とも関係している。
「表現する」部分であって意識で飾れるところで、自分でごまかすこともできてしまうところ。

「オトコを誘う」とよく言われたのもここのエネルギーだったらしい。
「そんなつもりなくてもいわれただろう?」って。
淋しい感情が先にたってしまって、だれかのエネルギーでうめるように。
カラダが先にたつ恋愛といえない恋愛をつづけてた。

ありあまる創造性のエネルギーももてあましてしまい。
「表現する」ことができず。否定された感情が積もっていく。
いつもどこかに所在がなく、どんなにどんなに努力をしてもはじからエネルギーがもれるように
自信は貯蓄されることがないのだ。

それを隠すように人と付き合うわけだ。
そしてそこに迫り、ぶつかり、傷をつくる。傷の上に傷をつくり。
傷あとはのこってしまい、癒えない。
奥深くでは、癒えることを望んでないのだ。

そして、カラダも緊張していく。

整体の先生から言われたことで
「実際、そうでないこと」
「こうなるよーといわれてもならなかったこと」
(あえてはずれたとはいいません)
こともあった。
なので必ずしもその話はホントかどうかはわからない。
みえないものがみえても、ゆだねることもしない。
私の人生は私のもの。


けれど、涙がとまった。


それから2回、整体に通った。
あの痛みはにぎられていたこぶしがひらかれたように徐々にひろがり、うすくなってきている。

それでもすぐにはなくならないらしい。
その時期は・・・・。
ひみつ。


ゲンインは呪わない。
人生も呪わない。
経験も呪わない。

その、恋愛たちがいいものでなくても。
あんなに誰かを求める切ない気持ち。
くるおしいくらいの愛しい思い。
苦しいくらいいとしい、切なさ。

私にくれた。


いつも恋愛は相手のエネルギーが私のカラダの一部になっていて。
離れるときはカラダの一部がもぎとられるようにつらかったのだ。

そして違うエネルギーをみつけると、もうそこには戻れない。
冷えてしまう感情。
どこかに痛みを感じるときはもう手放す時期にきているっていうことがある。


ヒーリングは玉ねぎの皮をむいていくようなもの。
1枚むくとまた次の皮がでてくるという意味なのだ。
途中で自分が楽になったのだったらそれで終わりでいい。
魂の傷ついた記憶なんて癒していたらきりがない。
「もう、いんだ。」ってこころのケリをつけることができたなら。
先をみてすすむことができたなら。


でもそれは封印とはちがう。「腑に落ちる」こと。



まだスカートははいてないけど。


体のどこかに原因不明の「痛み」ありますか?
(Mar 2007)



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